どうも、ギターの松井です。

しばらくブログ書かなくなるから長いよ過去最大に。

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昨日という日は
待ち焦がれた日と言うか、
終わって欲しくないから迎えたくなかった日と言うか、

その辺のニュアンスが本気で複雑になるほど、
始まる前から全部が詰まった夜になるのが手に取るようにわかるぐらい、
詰まりに詰まったライブでした。

こんなライブやった後もう普通にやれる気がしません。

出れて心から嬉しかったし、今までの全部がこの日の為にあったんだと確信持てる夜でした。



話は少しズレますが、
つい最近テレビでビックリするぐらい
ダサいバンドがライブやってんの見て、
テレビ壊しそうになるぐらい腹立ったんです。

僕は楽器始めた10代の頃から
あんまり生き方とか主義が変わってないから、
もしも何かのタイミングで10代の頃にテレビ壊しそうになるぐらいダサいバンド見てたとしたら、
音楽やるって選択肢は確実になかったなと思って。

でもそれって今テレビの中だけじゃなくて、タワレコ行ってもツタヤ行ってもツイッター開いてもユーチューブ開いても、もう目に映る場所どこにでも存在してまして、こっちの好みなんか無視して勝手に入ってくるんです土足で。
見てるこっちが恥ずかしくなるような、スカスカのワケわかんないのが。

コレがね、すごい辛い。
比べてる時点で僕もかなり立派なアホなんですが、酷い時は自分が音楽やり始めたキッカケ揺らぐぐらい辛くなってくる。
だってそんなダサい奴らと同列のバンドマンに見られながら音楽やりたくないからね。
でも知らない人から見たら全部同じ音楽やってる人なんですよね。

まぁ僕が言うダサいと他の人が言うダサい、がそもそも違うんでしょうけど、、


でもね、
秩父に来たら誰がどう見ても完全にそんな奴らと同列じゃないバンドに出会ったんですよ
HOCKLE HOCKって言うんですけど。

そして誰がどう見てもそんな奴らと同列じゃない歌唄いに出会ったんですよ
原嶋卓哉って言うんですけど。


この連中は知れば知るほど理屈抜きで
馬鹿みたいにカッコ良くて、、
リスクは全部背負うわ、諦め悪いわ、男こじらせすぎてメチャクチャ不器用だわ、芯強すぎて考える事やめねぇわ、仲間想いだわ、投げ出しそうで絶対に投げ出さねぇわで、
言い出したらキリがない程の完全に最高な連中でして。

だからHOCKLE HOCKや原嶋卓哉の
後輩とか仲間として、秩父で音楽やってきたバンドマン心の底から羨ましくて仕方ないんです僕は。

そんな先輩とか仲間欲しかったし、
こんなライブハウスのある街で生まれて怖い先輩に怒られたり、地元の事考えながらバンドやりたかったって何十回、何百回と思いました。

自分達の手で、自分達の誇れる場所作るってね、最高以外の何でもないですよ。
こんなカッコいい事たぶん他にない。

どうもまだ秩父の連中は僕の事を客扱いしてる風に見えるから、
こっち来んなって言われるまでもっともっとぶっ込んでいかないと、と思いました。覚えてろ。

何はともあれ、
我々TETLABはこれより、活動休止のような状態になります。
それすら通過点で音楽から完全に足洗うつもりなんかさらさらないから、
わざわざ昨日のライブを自分達にとってやたら特別にするつもりはないけど、
それでも秩父は場所としてどうしても
特別だから、今回の自分たちの節目のライブが秩父でやれて最高に嬉しかった。

ラダーラダーを作ってくれたマサさん、どうもありがとうございます。
今まで僕が音楽から受けた色んな傷は
ラダーラダーのおかげで全て報われてます。

そして卓哉、改めてスプリット一緒に作ってくれてありがとう。
TETLABで1枚目の音源を出した後で、自分達の演奏で誰かに思いっきり歌ってもらう曲いつか作りたいって目標出来てたんだけども、
やっぱ音源作ってみてライブもやってみて改めて、他の誰かじゃなくて原嶋卓哉に歌ってもらわないとダメだったんだとわかりました。



去年の11/23にNAKEDに弾き語りで呼んでもらって、卓哉のライブ見てやっぱこいつの歌だとって思ってすぐにTETLABとのスプリット作って欲しいってお願いしたら、
その日の内にOKの返事来た(こういうの大体みんな返事スーパー遅い)、
リリースのタイミングを当初は4月で計画して5.6月でレコ発って話だったのが、
僕のタイミングが悪くなって自然とズレ込んで、6.7月でレコ発かなーとか言ってたら今度はライブハウスの都合とかでまたズレ込んで、
じゃあ7.8月にしようって卓哉に話したら、
それなら8月にラダーラダーは周年迎えるし最後のNAKEDもやるから、、
なんて言いながら、大して日頃の行い良くないのに
極めて自然な流れで誘われるように
1番やりたかった最高の形で昨日のレコ発秩父編を迎えられました。

7/8のレコ発の事を書いたブログ内のTETLABが出来た経緯の通り。

どうやら僕は2012年に出会った原嶋卓哉に春をみた ようでした。

コレ奇跡かもな。たまりません。

そしてスプリットに収録してる最後の曲
My Little LadderのMVで後半ずっと登場するのがアコースティックギターなんですけど、
実は僕と卓哉とマサさんの3人を繋げた楽器はアコースティックギターだったんですね。
当時3人ともバンドではエレキギター弾いてたのに。
初対面の時はアコースティックギター持つ場だったんです。



だからラダーラダーっていうライブハウスと、そこを守る人と、そいつらの音楽すら超える生き方を歌にしたくて、
書いた曲のMVだから俺らを繋げた
アコースティックギターが組み上がっていく内容が理想だったワケです。
だからあのギターは俺らそのものなんです。
ロケ地は秩父。
全力で手伝ってくれたのはもちろん卓哉と、昨日も出てたmabutaのBa.ポリスくん。


ちょくちょく出てくる鬼灯の花は
Goodbye fake〜〜の歌詞を強調する為にどうしても必要な物。
意味は自分で調べるか考えてね。


My Little Ladderのタイトルの由来は
卓哉の在籍するcodomotonaが僕らTETLABを始めて呼んでくれた企画名をそのまま拝借しました。

その企画の開催地はもちろんラダーラダーで、
さらに掘り下げるとその日限定で披露したcodomotonaと僕で歌った卓哉の書いたコラボ曲"Landscape"は
TETLABの1st mini アルバムのタイトルでもあるワケですね。

奇跡続きで
なんかもうここ数年
僕と秩父が生んだバンドマンの間で最高が渋滞してます。

そしてメンバーのツネさんとマサヒロ、
結成から今日までどこか一方的に付き合わせてしまったような部分もやや感じるけど、確実にメンバーとしてシンクロ出来てた部分もあったと思えるし、
何よりまともな奴ならまだしも、
相手は偏りに偏った僕なんでその辺は大目に見てください。
僕とバンドやったのが運の尽きです✋

次TETLABはいつライブやれるかわかりませんが、その日を楽しみに生きていきます。
皆さま、一旦お疲れ様でした。

では✋

我々と原嶋卓哉の
7/8のレコ発企画@新宿NineSpices
での写真をアップしておきます。

カメラマンは原嶋卓哉の旧友の
中島未来氏です。

どうもありがとう。

























他にも色々ありますが、
あとは僕らだけのお楽しみです。

目頭があつくなる。し、
あの夜に戻りたくなる。

こんにちは、ギターの松井です。

帰宅後もライブの興奮が続いており、充分な睡眠を確保出来ないまま今日を迎えました。

良い夜を過ごした証拠です。

集まってくれた皆と、共演のHOCKLE HOCKと、そして原嶋卓哉がいて、
一生こんな日が続けば良いのにって思うような、レコ発でございました。


本当にありがとうございました。



メンバーにも昨日のライブ中に少しだけ振った話で、まだちゃんと話してませんでしたが、TETLABが出来る前に原嶋卓哉からどんな影響があったか、
TETLABの発起人としてここに記しておこうと思います。

あ、ここからかなりの長文になります。
覚悟しとけよ👍

僕は他にもバンドをやっています。
特に長くやっていたのがotoってバンドで、このバンドが数々の事情で動けなくなり始めたのが2012年辺り。
ちょうどその頃に熊谷のアコースティック企画で出会ったのが原嶋卓哉の在籍するcodomotonaでした。

ちなみにこの時が僕は初めてのアコースティックライブであり、とても緊張してました。
で、codomotonaの出番で卓哉の歌聴いて頭のてっぺんからつま先まで完全に持ってかれたワケです。
だってアイツの歌やばいから。

この日を境にもう2度とやらないかもって思っていたのに彼のせいで僕のアコースティックに熱が入ります。
そらもうギター始めたての学生の頃のように。
エレキギターとは勝手が違うんですよ本当に。
で、練習に次ぐ練習を重ねるんですが、やればやるほどその辺に山ほどいる、どこかで見たような、聴いたような歌い手さんと似たり寄ったりになるワケです。

それが心底イヤでまた練習して、、

で死に物狂いで丸1年経って、煮詰まってリセットしてを日々繰り返しながら
僕は徐々に『原嶋卓哉の歌のように』
他人とは違う松井独自の物を追求するようになります。

そこでとうとう自分の演奏と歌に
乗せてもう1本ギターが横で鳴っているのはどうだろうと考え始めます。

そこで白羽の矢が立ったのが現TETLABのギターのマサヒロでした。
やってくうちに、
ギターのアンサンブルがあまりに楽しくて、歌よりもギターへの比重が若干勝り始めた辺りで、
これはドラム入れてバンドでやった方が面白いんじゃないの?ってなるんですね。

もう多分根っ子がバンド肌過ぎたんだと思います。

で、ツネさんが丁度ヒマしてるという事で入ってもらって
TETLABが出来たワケです。

なので、やはり原嶋卓哉がいなければどう転んでもTETLABの音楽はおろか、結成すらあり得なかったという事です。

原嶋卓哉はたまに
俺の未来には松井がいてくれてるだの何だの言ってますが、

厳密にはそれは逆でTETLABの未来に原嶋卓哉がいてくれたという方が正しいんです。
いや、未来どころかTETLABが出来る前からですね。


『俺らは誰かの夢になる可能性がある』って言ってる、一生かけても追いつけない先輩がいるんですが、
原嶋卓哉の歌に夢を見た30過ぎのオッさんがそのうねりに飲み込まれて、結果新しいバンド始めてしまう。
僕にとってそれほどの可能性を持っているのが彼の声と歌でした。

そしてHOCKLE HOCKは
僕が迷ってきた事やら、考えてきた事、やってきた音楽は間違ってなかったという事、
加えてこのまま音楽を続けていっても良いんだという事を、
圧倒的なライブで教えてくれた最高のもう1つ上を行く偉大な唯一の先輩でした。

あんなデカいバンドのいる秩父で音楽やれる人達が、どこの土地のバンドマンよりも羨ましいと思った。

正直こんな連中に存在認めてもらえただけで生まれてきた意味全部回収出来たと思ってます。

自分が音楽に溺れて上京してきてからの事を考えると、昨夜のライブもリリースも途方もない奇跡のような話です。

そんな奇跡的にリリース出来た音源
-Song cruisin'-
色んな人に聴いて欲しいとオッさんは心から思ってます。

色んな物詰め込みすぎた結果、
多分この先何年経ってもいちいち思い出さなくていいぐらい、
忘れられない音源になりました。

あとは8/6に秩父ladderladder来てくれたら、俺らの全てと、これからが見れるかと思ってます。
よろしくお願いします↓
合わせてladderladderの8周年もお祝いしに是非足を運んで下さい。
待ってます。

追伸、
昨夜のライブ写真は後日このブログやメンバーのTwitterやインスタなんかで更新されてくと思いますので、
こちらもお楽しみ。

まずは、昨夜のライブを見届けてくれた皆様、本当に本当にありがとうございました。

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